稚内から宗谷岬を越えて浜頓別方面に向かって約80キロくらい行くと”浅茅野”(あさじの)という場所がある。現在の人口は約300人、コンビニすらないような場所なのだが、昔、そこに飛行場があった。
話は第2次世界大戦中までさかのぼる。
当時の日本はソ連と不可侵条約があったのだが、利害関係で結ばれているだけで、どちらから手を切ってきてもおかしくないレベルのものだったようだ。
そんな情勢なものだから、ソ連軍が南下してきても本土が耐えれるように浅茅野に軍事飛行場を作る、という発想が軍部に出てくるというのも分からなくはないが、問題なのは飛行場を建設する労働力が国内ではどう考えても足りないという事だった。
その労働力を外国人に求めるのもわかるのだが、職人として雇うのではなく、奴隷として連れて来る、というのが一番の問題だ。
当時の国も卑怯臭いやり方をしていて、国家が労働力として外国人を徴集するのではなくて、下請けの会社が申請してきた人数を派遣する、というやり方をしている。どう扱うかはそれぞれの会社で考えなさい、ということだ。
とはいっても、戦時中にまともに人権を守られたのは稀なケースだったろうと推測する。大方、タコ部屋に押し込み、労働以外の時間は鍵をかけて自由時間もなく、まともな食事も出さずに、病気になっても治療は受けさせてもらえなかった。労働の賃金ももらえず、現場監督がネコババして夜逃げした、という事も多々あった。
この人たちが人間として扱われたのは、強制労働や疫病で死んだあとに、現地のお坊さんがお経をあげ、火葬し、共同墓地に埋葬した事、くらいではなかっただろうか。
北海道にはそういう場所はまだまだ沢山ある。ただ、表に出て来てないだけだ。
今年の5月の連休に「北海道フォーラム」に参加してきた。「北海道フォーラム」では、現地のお坊さんが残されている情報と、まだ存命していて実際に浅茅野に連れてこられた人たちの話を元にして、共同墓地だった場所を掘り起こし、見つかった遺骨を遺族にお返しする、という活動だ。
北大の発掘チーム、在日の方々と一緒に発掘作業を行い、今年は7体の遺骨を発掘した。しかし、その先の遺骨返還は政治問題も絡んでなかなかうまく進まないらしい。今後の活動に期待したい。いろんな人と話をしていて、アニメーションを作る約束までさせられてしまった。
今回の活動でいいなぁ、と思ったのは、追悼式で「仏教式」「キリスト教式」「アイヌ式」でそれぞれの代表者からメッセージがきく事ができて、こういった活動には国籍、宗教は関係ないんだなぁ、と深く感じた。
資料を読んでいて気になったのは、軍部と実際に強制労働を指揮していた会社の現状の認識が大きく違っていたのではないか、という事だ。というのも、会社の現場監督が強制労働させられている人に対する扱いについて、軍部から呼び出しを受けて警告を受けていたという話が結構多いからだ。軍部は、ちゃんと賃金を払っていて、少なくとも労働者としての扱いをしているものだ、という認識があったのではないか、という可能性は付け加えておく。
2009年05月12日
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/119265041
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/119265041
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック




俺も軍部が賃金を払っていた事は初めて知った。
これをアニメーションにするのは大変だけど良いと思うよ。
いろいろと知られていない事ってのは沢山あるものだ、と実感したよ。
「アニメーション制作というものは時間がかかるものです」という事は言っておいた。